野麦峠

H23.10.09(晴)。
明日は、ミキヤツ登山教室の初級岩登り教室に参加予定だ。
当日朝に会津から出発して、“小淵沢(こぶちさわ)駅に朝9:00集合”に間に合わせるのはつらい。諏訪市付近に前夜泊しよう。事前の検討では、天気予報が信じられる3日前では、ネットでは予約を取れないようだった。幸い岡谷市に旧知の知人が居る。泊めてもらおう〜っと。夜は会食&ビ○○で、古い記憶を温め合おう

せっかくの遠路はるばるのドライブだ。おまけも欲しい。
朝8:00頃に自宅を出発すれば、夕方まで2〜3時間の余裕があるはずだ。
(以前から関心のあった) 野麦峠を散策しよう!

10/09、
ワサビ沢
0.6h、晴
往時の女工さん達に
心を寄せてきた。
飛騨は・・・。
道路地図(マップル)
1/2.5万 地図:野麦
山・高原地図 38:乗鞍高原
ルート



a.m.8:00頃会津の自宅から出発し、新潟を経由し 14:00頃野麦峠到着予定であった。北陸道から上信越道に入ってから、2ヶ所渋滞(1ヶ所は事故車あり)だった。ナビでの野麦峠到着予定は、15:30になっってしまった。

まずい・・その時刻では 遊歩道を往復すると暗くなる可能性がある(最近は17:00でかなり暗い)。 法定速度よりは若干オーバー目で走行した。

高速を下りた時点で15:00到着予定、下道も若干オーバー目で走行した。
道がだんだん細くなる。最後は(舗装はされているが)林道幅ぐらいになる。
もうすぐ遊歩道(野麦街道)入口に着くあたりに、
石室(いしむろ?)があった。

私には、野麦峠は、映画“ああ野麦峠”の女工哀史の印象しかない。

明治の殖産興業時、飛騨の中学生程の年齢の女子が、諏訪一帯の繊維工場へ女工(工女)として、出稼ぎに出ていた。
  
睡眠時間以外は労働の 劣悪な労働条件 (当時としては普通?)で、健康を害する人も多かったようだ。しかし、技術が上がれば百円工女(年間報酬?家が建つ金額、現代なら500万〜1千万?)と認められ十分な給与がもらえたようだ(初年度は10円)。貧しい田舎の農村では、一家の期待を背負った大きな現金収入源であっただろう。

ただ、飛騨〜諏訪界隈の移動時期が悪条件だ。一応厳冬期は避けているが、2月末と12月末だ。まだ吹雪く可能性はある。残雪で道型が解らないと滑落する可能性もある。吹雪かれて疲労凍死する可能性もある。しかも・・・和服だ。

実は、野麦街道は、古くから主要な街道であり、江戸時代には 江戸から飛騨高山(天領)に赴任する代官が通り、飛騨から長野・善光寺参りの道としても使われ、江戸街道とも呼ばれていたらしい。

しかし、そのような自然条件なので、往時から凍死する人はいたらしい。
それに心を痛めた 地元の有力者が(旅人の避難所として)この石室を作ったらしい。

程なく、ワサビ沢の遊歩道入口と直前駐車場(10台強?)に到着。駐車場には簡易トイレがある。

 14:33 歩行開始。
 遊歩道は、最初は林道幅だ が、路面はやや悪い。

 スニーカーでも大丈夫だが、
 軽登山靴が望ましい。

 少し進むと、
 沢沿いだ。

 道はだんだん
 狭くなる。

 でもメジャーな
 登山道の幅
 ぐらいはある。

 ←この辺で
 沢と別れ
 九十九折れの
 登りになる。

登りきって緩やかな道になった。
遊歩道レベルに整備されている。


 (←)峠に到着。

 一等水準点があった(↓)。



少し先に進むと、
映画・野麦峠のメインストリーである“14歳から出稼ぎに出て、百円工女にもなったが、腹膜炎になり罷免され、兄に背負われて帰省せんとし、峠で20歳で果てた政井 みね”の石像もあった。


野麦峠で「ああ飛騨が見える。」と言ってから、息が絶えたという。

それにしても・・・石像の表情は暗過ぎではないだろうか
その割に頬が ふっくらしているし・・・。

やつれた中にも(星の最後の)超新星の輝きがあって良いと思う。
少なくとも、命の最期に故郷を見れた安心感・充足感・歓喜が、少し以上感じられる表情であってほしかった。

駐車場(20台?)もあった。駐車場の左(北)に展望らしきものがあった。
展望台(野麦峠の館の屋上?)から西北西(飛騨方向)を眺める(↓)。

カシミール3Dで検討してみたが、見えている山並は乗鞍岳からの尾根筋で、峠から飛騨盆地は見えないようだ。

野麦峠は、どちらからも 谷合のアプローチが長い。松本から車で1時間半(50km?)だ。

(↓)展望台で南を見る。駐車場の向こうに、お助け小屋がある。
 お助け小屋は、一般民家で、
 往時、旅人や工女を泊めて
 あげていたらしいが、峠には
 なかっただろう
 (風雪荒ぶ峠に人は住めない)。

 
この建物は、観光目的に、
 ふもとの農家を移転し、
 土産を販売している。
前述したが、野麦峠へのアプローチはとても長い(50km?)。アプローチだけで丸1日かかる。峠の急登が始まる前(飛騨からなら野麦集落?)に1泊し、1日で峠を越え、急な下りが終わった人の住めそうな所で1泊し、対側のアプローチに1日といった所だろう。出発地・目的地によっては、もう1泊両側につくかもしれない。

駐車場の 右向こう角に、
下り道があった。(→)

お助け小屋の所にも、沢を渡って、沢沿いに下る道がある。

お土産を買って下山した。

16:10駐車場戻り。ストレッチ等をした後、知人宅のある岡谷へ向かった。
諏訪I.C.手前で、また5kmの事故渋滞(その先:南諏訪まで)に遭遇したが約束の19:00に少し遅れた程度だった。
知人と食事&ビ○○をいただきながら談話した後、知人宅で就寝。

                まとめ

14:33ワサビ沢の遊歩道入口・駐車場から歩行開始し、15:09峠到着、峠でブラブラして、16:10駐車場戻り。(登山地図では登り1時間、下り40分。飛騨側の遊歩道は、行程長く、登り3時間程らしい。途中から遊歩道に入る事はできない。入れるのは熊さんだけらしい。)

たかだか30分程の登りではあったが、工女達に そっと 心を寄せてきた。

 
10月10日、夜明け前に目が覚めた。
諏訪湖畔をドライブ&散策した。

岡谷湖畔公園から
諏訪市方向(→)。

日の出だ。
対岸右に諏訪市の
ビルが見える。
(四角い高い建物)

「今日も一日
 頑張るぞい!」



(“ミキヤツ・初級岩登り教室・小川山”も見る?)


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