茶臼山・四天王寺・天保山 |
朝食は食べず、(6:30出発の予定だったが)7:00少し前 阿倍野のホテルから歩行開始した。用務地に向かい谷町筋を北上した。途中のコンビニで朝食を購入して、店先で食べた。 | |||
谷町筋の左に、天王寺公園がある。 茶臼山(天王寺公園) 天王寺公園の茶臼山は古墳なのか違うのか?議論紛々のようである。 大阪冬の陣で徳川家康の本陣となり、夏の陣では真田幸村の本陣となった丘である。まっ、訪れてみましょうか? 公園の外周には入れるが、早朝だったので 池や茶臼山のある中に入れない。 公園北側の一心寺の墓地から、茶臼山を撮影(↓)。 右は 10m未満の 標高差だ。 左は段丘状で、20 〜30m?の標高差 があった。 |
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さらに、谷町筋を北上した。
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天保山 (4.53m)
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午後(13:00過ぎ)用務を終え、天保山へ向かった。 用務地の天王寺から、北へ歩き過ぎて、千日前線を通り過ぎてしまった。この際、もっと歩いて、最終的に乗る中央線の駅まで歩いてしまおう。谷町四丁目で中央線に乗り、大阪港駅で下車し、北へ歩き 天保山公園に向かった。 天保山は、1831年(天保2年)に、大阪港の浚渫工事の土砂を積み上げられてできた築山で、高さ20m程であったらしい。大砲の設置や地盤沈下で現在は4.53mまで低くなってしまったらしい。 天保山公園に到着。 右に小高い丘があるが、 案内図では左奥に天保山があるらしい。 左へ進んだ。 |
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ちょっとした段差の上に記念碑のある広場がある。 まさか、あそこではあるまいな〜・・。 |
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碑には“明治天皇観艦之所”とある。幕末に後の明治天皇 が、(幕府と戦う?)戦艦を観閲した所らしい(←)。 そして、天保山山頂 4.53mとあるが(↓)・・・ |
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え〜っ・・! どこが山頂なの〜? そこの右の足元に、 三角点標石(二等三角点)があった。 |
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隣の(後で造った?)展望台の方が 高い(→)。 |
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昼食がまだだったので、隣のビルの“なにわ食いしんぼ横丁”の自由軒(本店は難波)で、夫婦善哉の作者:織田作之助が好きだったという名物カレーを食べた。 名物カレーと串カツのセットを食べた。 カレーピラフではなく、普通のご飯に カレーをまぶしてある。富士山型の 噴火口部に生玉がのせられている。 |
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かろうじて、(指定席を取っていた)15:17の新幹線に間に合った。 |