高遠城 跡

H24.07.27〜.29、甲斐駒ヶ岳&木曽御嶽山 登山目的に長野県に出かけた。
宿は北伊那駅付近のビジネスホテルにとっていた。ナビの目的地に 甲斐駒ヶ岳へのシャトル
バスの出る仙流荘にセットすると、ナビは高遠(たかとお)町を経由するルートを推奨した。

高遠・・・江戸時代初期、松平会津藩初代の保科正之の出身地ではないか!
これは、城跡ぐらいは鑑賞しよう。甲斐駒ヶ岳下山後、帰り道で立ち寄った。

道路地図(マピオン)
地図
(若干古い地図です、道路に関しては新しい道路地図を参照して下さい


遠望(→)。城は、手前の
はっきりした緑の丘で、
山城である。

(鑑賞の最期に、橋の上に停車し、車中から撮影)

上写真の先で、左の登り道に入る。

ピークの直前の右カーブに、
大手門跡(写真中央左に石碑)がある。
登り切ると、右に広〜い敷地がある(↓)
案内板に拠ると、ここに
本丸、二ノ丸・・・等が
あった様だ。

今は野球場2面程とれそうな
運動場になっている。


 案内板
(解説板?)
 にあった
 往時の図面。



 道路向かい
 (三ノ丸)に
 門があった。

 解説板によると
 「明治政府より
 城の破壊命令
 が出た。
 
「大手門は、切り詰められた形で高遠高等学校の正門として残された。その後、(町に?)寄付された。」らしい。
三ノ丸も、芝生と木立の公園に整備されている。

その右上段(進徳館)も、
芝生と木立の公園に整備されていた。




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