堂ヶ作山 (1)

H23.05.28(曇)
会津百名山で、滝沢峠と抱き合わせの堂ヶ作山(どうがさくやま、382m)に出かけた。
市街のすぐ近くで、その気が起きない里山だが・・会津百名山なので行ってみよう。

ー、0.2h
 5/28、曇
街の裏山・里山。踏跡強いが
やや荒れ気味。付近に史跡多い。
道路地図(マピオン)
1/2.5万 地図:広田 
ルート図

赤線が my root(中精度)。上図の縮尺は 1/1.67万(cm:1km) 程度。
上図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図 50000(地図画像)及び数値地図 50mメッシュ(標高)を使用し(承認番号 平20業使、第251号)、カシミール3Dで作成し、加筆したものである。この画像をさらに複製・使用する場合には、国土地理院長 (と私)の承認が必要です。(個人山行のため個人的に印刷するのは承認不要。)


登山口近くに駐車しても良いが・・・地図から推定するに、どう見たって短か過ぎる行程だ。わずかながら遠くから歩こう。

若松駅前から飯盛山へまっすぐの道の
飯盛山寄りに(→写真の山が飯盛山)市営観光駐車場がある。

そこから歩く事にしよう。

 市営駐車場の向こう
 飯盛山のすぐ左に
 堂ヶ作山が見えている。

 12:56 歩行開始。


 大通りを飯盛山の前の道まで進み、交差点で
 左に曲がると、

 (←)右に飯盛山参道が見える。
 震災・原発の影響か?観光客は少ない。



 すぐ先で、十字路になる。
 (交差する道が、昔の国道49号線)
 十字路を、左へ曲がる。


 左に滝沢本陣がある。
さらに少し先で、左T字路になる。

 左直角が滝沢街道(旧国道)だ
 真っ直ぐが、旧・滝沢街道だ。

 曲がり角の看板(住宅の塀の白四角)
 には、“←猪苗代 郡山方面 |
 十八番観音様・不動尊白糸神社↑”
 と書いてある。
まっすぐ旧滝沢街道側へ進むと、

変形十字路になる(↓)、真っ直ぐが旧・滝沢街道(白河街道)だ。
右斜め前の道は、未舗装で、東京電力の社有地だ。(戸ノ口堰を利用し水力発電しているので、水の管理に重要な所が社有地になっている。)
左は団地への道だ。

 
交差点付近に登山口(神社)がないので、

左団地への道に入り

団地内の上・山側
の道を少し行って
みた。

神社がみあたらない。



変形十字路に戻り、旧・滝沢街道を進んでみた。

すぐにY字路になる。左が旧・滝沢街道で、

右が白糸の滝等への道だ。右の道の(写真の)
軽自動車のすぐ先に、3台ほどの駐車スペースがある。

旧・滝沢街道を進んでみた。

うんちく書きの説明板があった。
「堂ヶ作山・飯盛山頂に古墳があった。飯盛山頂に山城があった。」
「滝沢街道は、蒲生氏郷氏が 1591年に白河裏街道として開いた。加藤氏が表街道にした。」等とあった。

通行止め(車の話?震災? 多分車の話))まで進んだが、登山口の神社なし。
どこだ〜・・どこに有るんだ〜・・?!

もう一度、左団地の中の上・山側の道を突き当りまで進み。そこで 右/
山側へ進んだが、行き止まりだった。
丁度 庭仕事をしていた人がいたので、たずねてみた。
「一本下の道、あの家の裏だ。」との事であった。

 ありました。
 山へ登って行く 赤い鳥居がありました。

 左・団地に入ってすぐ、左の道を進めば
 良かったのでした。
 (私は右山沿いを進んでしまった。)

帰宅してから、冊子「会津百名山」をよく読むと、ちゃんと、現状に会った
「旧滝沢峠入口手前、現在のつつじが丘団地入口の・・左手の道を進む、しばらくすると、正一位種子釋大明神の赤い鳥居が・・・神社の左手より山道に入る・・・」の記載があった。

(この山をなめていて)「この辺だろう。」の丼勘定で歩いていた私。
すんまそん。まっ、あまりに短い行程の山だから、色々余計な所を歩いてみましょう・・・ってが〜。・・・。



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