八甲田山・春スキー 箒場岱ルート (1) |
うん10年前、映画『八甲田山』(新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』の映画化)を見た。
明治35年1月23日、(日露戦争に備え)雪中行軍訓練中の青森歩兵第五連隊が
吹雪に巻かれ遭難死した事件を扱ったものだが、とても強いインパクトだった。
山歩きに嵌った最近、(厳冬期は無理だが)残雪期に!
一度は訪れてみたい と思っていた山である。
大半が単独行の私、ここは 列車&バスで行こう。(車では、帰りに事故るかも。)
宿は 連休で どこも満員だ。絶望的な状況であったが、何とか確保できた。
H20.05.02(金)午後、新幹線(&在来線)に乗り、一路 青森に向かった。
★★★゜ ▲▲ ▲ |
ropeway、 箒場岱コース:全3.5h 宮様コース :全1.5h 5/3,4、晴 |
山ス | 天空の回廊を彩る雪原・ 火口壁、湿原・ブナ林等 の風景多彩。 雪中行軍遭難者銅像。 |
40゜39’32”、140゜52’37” 1/2.5万 地図:八甲田山、 田代平、酸ヶ湯、雲谷 山・高原地図:4 八甲田・岩木山 |
ルート 図 |
事前計画を「5/03に銅像ルートを滑降し、雪中行軍遭難者銅像を見学して泊まり。
5/04は宮様ルートを滑降し 酸ヶ湯に入浴し、そのまま帰宅。」と決め、GPS等を準備した。
5/02は、青森市内のビジネスホテルに泊まった。 翌 5/03、JRバス東北・十和田湖方面の始発(7:50)に乗り、八甲田山に向かった。 |
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バスの中、萱の茶屋の 手前で、八甲田山・全景が 見えた。 バスは、草原の広場のある 萱の茶屋で休憩した。 そこでも撮影したが、←この写真を採用。 |
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とにもかくにも、山頂駅到着。 あ〜っ、ここでも 広く地肌が出ている〜!
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数分で、(私の勝手な命名の)山頂駅上ピーク(1,326m)に着く。雪原の向こうに、八甲田山のピーク群 が見える。左から、赤倉岳(1,540m)、井戸岳(1,550m)、大岳(1,584m)の順だ。 中央の水平な雪の稜線の右端(指道標と重なっている所)は、田茂萢岳(たもやちだけ、1,324m)だ。 オレンジ色の指道標には、上から 宮様ルート、八甲田温泉ルート&箒場岱(ほうきばたい)ルート、 銅像ルート と書いてある。 箒場岱ルートのプレートの先は、滑降開始点を指しているのかもしれないが、当座は宮様ルートと 同じ方向であり、ここで微妙に角度をずらす必要は無い。八甲田温泉ルートの滑降開始点は宮様 ルートと同点で、滑る方向が反対なだけだ。銅像コースは、ここから斜めに左の谷間に下りる様に なっているが、まっすぐ谷間上(田茂萢湿原)まで下りてから谷間を滑り下りても良い。 |
銅像ルートを下りる予定ではあったが、八甲田のピーク群も少し歩いてみたい。 出来れば大岳山頂まで行きたいが・・・、山頂駅 歩行開始は9:52だった。チョット厳しいかも。 光洋観光バスのシャトルバスの最終は、箒場岱が16:30だ。 最終バスに間に合う所まで進んでから、戻ろう(下ろう)か・・? とりあえず、田茂萢湿原を 赤倉岳の登口(=宮様ルート&八甲田温泉ルートの開始点) の方向に向かった。 赤倉岳山頂は(他のピークもそうだが)地肌が出ている。最後はスキーを脱いで歩きだ。 トレースを頼りに、赤倉岳を登り始めた(↑上写真で、赤倉岳から左に伸びる尾根にある残雪群の一番下の残雪)。ほぼ夏道を辿っている様だった。 残雪の終わりで、大多数の人は、スキーを担いで夏道を登っている様だったが、左へ進み あくまで残雪の上を進む人が居たので、その後をついて行った。
さてと、もう一息 頑張りましょう。 |
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下から見て山頂と思った所(1,521m)は、まだ山頂ではなく、肩状部だった。 まだ先に、登りが続いていた。”爆裂火口・・・”等の説明板があった。
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