私に ヤケノママまでの下り方を教えてくださった 「高原山探訪」さんが、’08年09月でHPを閉鎖しそうだ・・・。“道なき道”の歩行記録はとても貴重である。せめて、吾妻山修験跡シリーズだけでも、私のHPに残そうか・・・?

御本人も、「Copy right はつけいていなし、出典を明記すれば公的な所に使って良い。」と書いて いられし・・・。



中津川遡行〜吾妻山修験の跡探訪その4〜(2006年8月)

年月日: 2006.08.02-03
目的: 中津川遡行
出発地点: 中ノ沢への放水口(標高約815m
到達最高地点: 梵天岩(標高約2,004m)
到達最遠地点:
天気: 初日: 快晴 二日目: 快晴
歩行開始時刻: 06:30 06:50
歩行終了時刻: 17:48 17:20
総所要時間: 11時間18分 10時間30分
遭遇した動物: イワナ イワナ

準備編

関連記録

  中吾妻山越え・中津川遡行(吾妻山修験の跡探訪3)(2005年9月)
旧中津川渓谷登山道の案内(20057月撮影)

中津川左岸の登山道入口の草むらに落ちている。

「中津川遡行者に告ぐ。このコースはここ(下の土場)から観音滝を過ぎ、上の土場まで東岸中腹を登ります。そこから沢遡りとなり、神楽滝50m下で東側の山腹を巻き、靜滝、熊落し滝、朱滝と、これを繰り返し、ヤケノママまで実動8時間、全行程 県境尾根を通り抜けるのに2日を要します。ご注意下さい。」

2005年にヤケノママに関心を抱いたのがきっかけで沢屋さんの中津川の遡行記録を幾つか目にした。沢登りは危険なスポーツであると改めて認識すると同時に、名瀑を秘めながら容易に人を寄せ付けない中津川に興味が湧く。中津川の数ある滝の代表格が朱滝で、地形図にも記載されている。滝にあまり興味がなくてもこの地域に着目すればどうしても気になる存在だ。一度は目にしてみたい。しかし、自分は沢屋ではないし、若くもない。これまでの山歩きで最も検討と準備に時間を要した。

ヤケノママに行く道は消えてしまっているが、薮屋にとってヤケノママ行きはそんなに困難なことではない。でも朱滝を見るとなると本格的な沢登りに挑戦せざるを得ない。中津川の特徴を簡単にまとめると以下の様になる。

特徴その@:流程が長く、一日で遡行できない。
        峡谷部(秋元湖から朱滝)が全長
10km、朱滝から詰めが5km。全て通しで遡行すると、最低でも23日を要す。

特徴そのA:両岸が断崖状で、且つ谷が深い。
        沢の核心部まで入り込むと、脱出できる場所がほとんど無い。

特徴そのB:高度な登攀技術は不要、体力勝負。
        かつて中津川渓谷登山道として整備されたことがあるだけに、滝の直登はなく、薮の高巻きが多い。
        但し、全て陸路で歩けるということではなく、へつりも泳ぎも必要。

これに下記の個人的な条件が加わる。

条件@:峡谷内でのビバークは避けたい。
     → 一旦、峡谷から脱出したい。

条件A:熊落滝の上流にある三筋滝とゴルジュは少々危険な臭いがするので避けたい。
     → 朱滝は上流側から下りたい。

条件@については、熊落滝の高巻きで沢底に再び降りずにヤケノママまで一気に藪歩きしてしまった記録がある。つまり、熊落滝の手前で150m以上崖登りをすれば峡谷から脱出できる。
条件Aについてはヤケノママから沢を下り、巻きのルートを降下して朱滝に到達した記録がある(
20059月に藪漕ぎでヤケノママ訪問を果たしたのであるが、同じ日にヤケノママ経由で朱滝に下っていった沢屋さんがいた。)。

沢登りは基本的に下流側から通しで上流に詰めるのが基本で、後戻りは危険。一旦入ったら行ってしまうしかない。最低でも3日以上天候が安定している時期を選び、行程をできるだけ短縮し、自分の技量にあったコース設定とする。

≪時期≫ 夏休みが梅雨明け直後の天候が安定する時期に取れるので都合が良い。じっくりタイミングを見計らって決行。

≪コース案 1日目≫ 単独の周回なので、中津川レストハウスではなく小野川湖側から出発する。魚止めの滝の上流に、中津川から小野川湖に水を流すための東京電力の取水門があり、そこまでは林道を歩いていける。遡行せずにすぐに対岸(左岸)に上がり、左岸沿いの中津川軌道跡を利用してできるだけ時間短縮。かつての登山道は観音滝上部まで軌道跡を利用していたので、軌道跡の崩落状態によっては観音滝の上部まで一気に行ける。軌道跡を行けるところまで行き、後は沢通しに熊落滝まで遡行。ここから左岸の崖を約150mよじ登り、平坦なアオモリトドマツの原生林に抜け出て一泊。

≪コース案 2日目≫ 崖の淵に沿って上流に約1km移動し、朱滝の巻き道を見つけたら沢に降下。イワナ釣りでもしながらのんびり過ごして再び朱滝を巻いてヤケノママへ。

≪コース案 3日目≫ ヤケノママから中津川源流まで詰めて登山道に抜け、西大巓をデコ平方面に下り(途中ゴンドラを利用)、車に帰着。

≪装備:通常の藪歩きより増えた分≫ 懸垂下降装備一式(ハーネス、カラビナ、8環、8.5mm30mロープ)、渓流シューズ、アユタイツ、ヘルメット、防水袋、食料多目、ホッカイロ(冷え対策)。

≪装備:通常の藪歩きより減らした分≫ 飲料水(通常3リットル→2リットル)、テント→ツェルト、シュラフ無し。 

731日には東電取水門まで偵察し、準備完了。あとは梅雨明けを待つだけ。

初日: 8月2日

行程: 中ノ沢への放水口の広場出発(06:30)〜東京電力取水門(07:15−07:30)〜軌道跡崩落地点(07:59)〜銚子の口(08:18)〜再び軌道跡(09:00)〜観音滝上部へ降下(09:23)〜中津川林鉄橋脚跡(09:30)〜大岩越え(09:55)〜大釜のテラス越え(10:20)〜権現滝出合い(11:48)〜神楽滝の大高巻き開始(11:56)〜夫婦滝(12:48)〜静滝(12:59)〜熊落滝(13:28ー14:25)〜左岸標高1,540mへ脱出(15:35)〜ヤケノママ着(17:18)

福島県はオホーツク海高気圧下にあって涼しい日が続いていたが、1日の天気予報では翌2日午後から太平洋高気圧が張り出して晴れるとのこと。チャンス到来。涼しい大気が残るうちに遡行して、快晴の下で余裕で山歩きすることにしよう。

早朝、猪苗代の平野部には濃い霧が発生しており、放射冷却が起きていると思われた。つまり晴れ上がる兆候である。予想通り、裏磐梯に進むにつれて青空が広がる。日光が山歩きの触媒となる自分にとって最高のスタートである。

中津川から小野川湖支流の中ノ沢に放水する場所が広場になっており、ここに車を置いていく。その先は通行止めになっており、中津川取水門まで約45分の林道歩きとなる。荷造りをしていて、高度計が無いことに気づきがっかり。熊落滝からヤケノママまで道無き原生林を1.5km歩くのに最も頼りとなるべき道具であったからだ。まあ、一度歩いて大体の様子は把握しているので、なんとかなるだろうと気を取り直して出発。できるだけ荷物の重量を減らしたつもりだが、それでも異様な重さである。乾燥重量だけで20kgはあるだろう。常用しているザックに全ての荷物が収まらないのでサブのザックをくくりつけたが、密着度が悪いので歩く度に上下に大きく振動してエネルギーを奪われる。「本当に体がもつんかいな?」という不安を抱えながらも林道をゆっくりと歩いていく。2日前に猪苗代の林道でシイタケ栽培農家の人がクマに襲われたばかりなので、今回は投げ釣りの竿先に着ける鈴を携行。

前日の雨のせいで下見の時より若干水位が高めだが遡行には支障ない。水も透明である。さっそく沢歩きの装備に着替えて渡渉し、対岸(左岸)の傾斜の緩そうな場所に取り付く。この辺りでは軌道跡の高さは沢底から30m程度だろうか。軌道跡は薮になっているが、渓流釣り客が利用しているらしく辿るのは容易である。しばらく歩くと軌道跡崩落地点に達する。足元は銚子の口の断崖であり、墜落したら確実に死ぬ。ここを渡った方の記録に拠ると足を掛ける場所はあるとのことだが、重い荷物を担いでいるので危険を冒したくない。ちょっと後戻りして、傾斜の緩そうなチシマザサとマタタビ・ヤマブドウの蔓の薮をすべり下って銚子の口の下に降りる。

銚子ノ口(標高約m)  08:18

滝の落差はたいしたことがないのに釜がでかい。大雨時の増水ぶりを想像するとぞっとする。

左岸(写真右側)の水線に沿ってホールドがあり、落ち口までへつることができる。あまり危険は感じない。

そのままゴルジュ奥へ進みたいところだが、水路の途中でホールドが無くなるので、反対(右岸側)に移らなければならない。水量が多いときは苦労するかもしれない。水勢に負ければ押し流されて釜にドボンである。

かつて日光修験が盛んなりし頃、磐梯吾妻ではそれをはるかに上回る過激な回峰行が行われていた。その核心部がこれから辿らんとする中津川渓谷の地獄駆けのルートである。60年近く前、父も仲間達とここを越えていったという。先人達の実績に勇気をもらって先へ進む。

次の観音滝は左岸を巻いて軌道跡に上がれば良いことを知っているので不安は無い。ところが、その手前のゴルジュを左岸のホールドを利用して回り込もうとしたが、行き止まりとなった。流れのきつい場所で泳ぐのを嫌って、そのまま崖をよじ登って軌道跡に這い上がる手に出た。斜度70度以上ありヒヤヒヤもの。岩がボロッときたら死ぬな。幸い、上部には木が生えているのでなんとか窮地脱出。このまま観音滝を巻いてしまおうと軌道跡を進むと、崩落地点が2箇所出現。古い緑色のトラロープが張られているのでこれを利用してなんとか渡ったが、今回の山歩きで最も危険な瞬間であった。もう一度やる自信はない。

観音滝に達すると下から巻き道が上がってきている。これを下って写真を撮るのは可能だが、体力温存のため無視して観音滝上部に下る。草付き斜面の様子では、今年になって遡行した人はほとんどいないようであった。さて、中津川林鉄の伝説の橋脚跡はもうすぐのはずだが、前方だけを見ていると何故か気づかない。キョロキョロ周囲を見ながら遡行してついに発見!

中津川林鉄橋脚跡     09:30

橋脚跡にしては変わった構造に見える。右岸側にベロンと垂れている金属はレールではない。

観音滝上流側に布滝なる滝があるとのことだが、本流にはそのような顕著な滝は無い。正面に見えてきた滝がそれかとと期待したが、左岸側から落ちる支流の滝である。ここで中津川は左に屈曲する。

支流の滝(これが布滝?)  09:39

屈曲点を過ぎると沢の中央に岩があり、その奥のゴルジュに巨岩が見えてくる。あれが大岩と呼ばれる場所であろう。

大岩(奥に見える岩)   09:43

水流は大岩の右にあり、釜を持つ2段の小滝になっていて通れない(泳げば可?)。左側には水の流れていない不思議な穴が開いているがこちらも通れない。

大岩には小さなホールドがあって、へばりついて左に回るように登れば越えていける。

この直後には美しい瀞が控える。

瀞淵   10:02

へつる場所はない。腰程度の深さなので川の中央を突破。とても快適。

ゴルジュでは水面より5mもの高みにチシマザサや潅木の枯れ枝が大量に引っ掛かっている。濁流が満ちている様子を想像すると早く逃げ出したくなる。

大釜を持つ小滝(これが子持ち滝?)   10:16

右岸側(写真左)のテラスを楽に越えていける。下側のテラスは行き止まり。その一段上を行けば良い。

センジュガンピ    11:04

この時期は谷底に花が少なく、センジュガンピの群落が唯一眼を惹く存在。

この後、あまりアクセントの無い大岩ゴロゴロの沢底の単調な遡行が数百m続く。「あの小尾根を回り込めば権現沢かな?」と何度期待して裏切られたことか。いいかげん遡行に飽きてきたころ左岸側に立派な滝が現れる。権現沢の出口は意外に狭く、突如現れるという感じ。

権現滝    11:48

支流の権現沢の滝であり、遡らずとも中津川本流との合流点から写真の様に見える。

かつて地獄駆けの修験者はこの沢を遡行し、吾妻山神社に向かった。周囲が切り立っているので巻くのは難しそうだが、実際に遡行した記録があるのでやれなくもないだろう。

ここはいざというときの貴重な脱出ルートである。吾妻山神社跡まで標高差300m以上の遡行となる。ただし、吾妻山神社跡を見つけられる保証はないので、一度登山道を辿って詣でたことのある方向き。

中津川本流と権現沢間の尾根先端を回り込むとそこには水量豊富な神楽滝が豪快に轟く。

巻きの途中にあるヤケノママを指す道標(上)

神楽滝(右) 落差約40m  11:56

神楽滝は左岸を120m以上大高巻く。巻き道は中津川本流と権現沢の中間尾根にあるという。なんとなく右手の木の根の張り出しが不自然なのでこれにつかまりよじ登ると、目の前に噂の残置ツェルトがあった。ここまで上がって行方不明になるとは考えられないので、重い荷物を嫌って置いていった確信犯なのだろう。シャクナゲが生える急な尾根は登り難く、掴まるものが無い場所もあり、いつ進退窮まるかと思うとヒヤヒヤする。大木には古い道標が打ち付けられており、確かに登山道として整備された歴史があるようだ。しかし、神楽滝側の崩落は進行中であり、将来はこの尾根を巻くことは不可能になってしまうのではないだろうか。高巻きの途中で右岸側に落差100m以上の美しい一条の滝が見える。

尾根の傾斜が緩やかになったところで踏み跡が消失する。左を見るとチシマザサの急斜面に下っていくように見えなくはない。先人の記録を確認し、地形図を確かめて、半信半疑で下る。チシマザサで足が滑って滑落しかけ、四十肩の右肩に激痛が走った。最後までチシマザサをうまくつないでいくと夫婦滝の手前に降り立つ。

夫婦滝    12:48

大高巻きを終えたばかりでもあり、穏やかな滝相を見ていると安心して一休みしたくなる場所である。落差は10m程度だが、今回見た滝で最も美しく感じる。

右岸側(写真左側)に鎖が一本下がっており、これでバランスをとれば容易に越えていける。

静滝    12:59

落差12m。左岸手前が草付きのガレ沢になっており、ここできれいな飲み水を補給可。

右岸側から越える人が多いようだが、左岸(写真右側)のガレ沢を少し登ってから岩場をへつると鎖が一本下がっていて、安全に越えることができる。

しばらく単調な遡行を経ると、大迫力の熊落滝の側壁が見えてくる。いよいよ本日の正念場、疲れたなんて言ってる場合ではない。自然と気持ちが引き締まる。

熊落滝にて    13:38

疲れるので近づかなかったが、滝そのものは落差約20mという。それより、高さ100m以上あろうかという周囲の側壁が圧巻。熊落滝の先で谷が右に屈曲し、幻の不忘滝が隠れているという。

中津川遡行の核心部が熊落滝左岸の大高巻き。左岸を100m程度登ってから道のない激薮をトラバースして、不忘滝の上部に降りるとのこと。トラバースが足りないと懸垂降下必至。この滝を巻くことを想定して懸垂降下の準備をしたのであるが、高巻きどころか山に逃げてしまったので結局使用せず。安全確保のためとはいえ、重かった。

もう滝はたくさん。この大側壁を見ることができただけで十分に満足。食傷気味になって、この時点で朱滝なんてどうでも良くなってしまった。時間的には余裕があるので、ヤケノママまで行ってしまおう。この後、延々と薮漕ぎが続くので腹ごしらえをして薮歩きの服装に着替える。

熊落滝のだいぶ手前の草付きガレ場に先行者が登っていったような跡がある。踏み跡のようでもあるし、大雨時の水流跡にも見える。しばらく登っていくと滝が落ちており、右側を巻いて直登。傾斜が緩くなった辺りで踏み跡らしきものは消失。おそらく熊落滝上流に向かって薮中を数百mトラバースするのであろう。当方はそのまま直登を続ける。中間地点から平坦な場所に抜けるまでにもう一回崖を越えなければならない。最後の崖は部分的に斜度70度位で上部に抜けられる場所がある。チシマザサや木の根を掴んで体を持ち上げる繰り返しであり、足が滑ったらどこまで滑落するか判らん。水を吸った渓流シューズ・ロープ・アユタイツがさらに重量を増す。体力を使い果たし、最後の最後でどうしても体を持ち上げられずに一休み。標高差約180mの直登りで脱出するのに1時間以上要した。

這い上がったところは丈の高いチシマザサの薮があって歩きにくい。日光が入るため薮が濃くなっているので、崖の縁沿いに進むという案は放棄。北東方面に向けて原生林奥へ突き進む。100mも進めば鬱蒼としたアオモリトドマツで日照が遮られ、薮が消えチシマザサの島が点在する程度となる。平坦で障害物なし。これほど美しく広大な原生林を見たことが無い。

ヤケノママに近づくと傾斜が大きくなり藪も徐々に濃くなってトラバースしにくくなってくる。よって、地形が平坦なうちに高度を稼いでおくのがコツである。今回は高度計が無いため、旧登山道のだいぶ下方を平行して歩いてしまったらしい。赤布も赤ペンキも見かけなかった。北北東に進むこと一時間。だいぶ沢音が近くに聞こえるようになった。すでに朱滝は過ぎているはずだが、ヤケノママ手前の支流の谷をまだ横断していない。方位磁石の指し示す北の方角は斜め下りであり、そのまま北に進むと中津川に出てしまうことになる。もう一回登り帰す余力は無いので観念してまっすぐ北に向かうと、ようやく支流に降りることができた。場所は支流が中津川に注ぎ込むナメの真上である。再び渓流シューズに履き替えナメを下り中津川の小滝下の大釜に出て、左岸側を巻いてヤケノママに至るガレたゴーロに出る。かすかに硫黄臭も漂う。

ヤケノママで一本の沢が左岸側から合流する。この地点の岩の上に小さなお地蔵さんが簡易セメントで取り付けてあるはず。果たしてお地蔵さんは健在であった。適度に砂地もあり、ツェルトを結わえ付ける潅木もある。ここを本日の幕場とし、初日の行動を終了。

ヤケノママ地蔵    17:27

遊び心のある人がいるもので、開けた幕場適地の岩上にセメントで固定されている。高さ約10cm。

空は快晴。夕方は暖かで半身裸でも気持ちよい。小虫がいて、たかるとチクチクするのだが、低地のブユみたいに血がでるような噛み方をしないのであまり気にせずにいた(ヌカカの仲間らしく、後日大量に噛まれた箇所が痒くて閉口。)。夕食をとってツェルトに入ってライトをつけた瞬間、小虫が数十匹入り込んでいて一斉に飛び掛ってくる。潰すのに小一時間を要す。

8時頃に就寝・・・のつもりだったが、2時間ほどまどろんで寒さで起きてしまった。雨具を着込もうと荷物を取りに外に出てみると、まだ10時だというのに冷え込んでおりイタドリの葉っぱは夜露びっしょり。空は満天の星。眼が悪くなってから天の川がこんなにくっきり見えたことは無い。夜空が美しいのは良いことだが、放射冷却の強さは想定外。つらい一夜の始まりだった。

2日目: 8月3日

行程: ヤケノママ出発(06:50)〜二俣(08:40)〜前方の視界が開ける(11:11)〜大凹登山道出合い(12:10)〜梵天岩(13:02)〜吾妻神社(13:13)〜西大巓への分岐(14:15)〜デコ平スキー場最上部(15:25)〜ゴンドラ山頂駅(15:40)〜ホテルグランデコ(16:50)〜駐車地(17:20

この日、0:00からまともに睡眠をとっていない。荷物の重量の関係でシュラフを持たないので、冷え込み対策として冬に買って余したホッカイロを大量に持ってきた。足の裏や胸、ズボンのポケットなどいろんな場所に入れてはみたものの、この夜の放射冷却はそんなものでしのげるような甘いものではなかった。不思議なもので、体全体が寒く感じるのではなく、どこか一箇所が特に寒気を感じる。例えば仰向けに寝ていると腹が冷える。腹にホッカイロを置くと今度は腿が冷える。横になって身を丸くしようとするとケツの穴が冷える。尻にホッカイロを足すと背中が寒い・・・・・きりが無い。だんだん震えが出てきた。これはまずい。こうなると不眠どころか凍死しかねない。寝ないで体を動かすしかない。おまけにツェルト内は結露でびしょびしょ。遡行中に水没して塗れたレインウェアの内側の水分を拭きとって着込み、あぐらをかく。結局これが一番保温状態が良かった。時折、ウトッときてグラつくこともあったが、朝4時20分頃までそのまま過ごす。山で眠れないのはいつものことだが、特につらい夜だった。

朝、外に出てみると非常に寒い。全てのものが結露してぐっしょりしており焚き火もできない。寒い時間帯に前日の濡れた衣服を着込む気になれなくて、しばらくツェルトを撤収したりエネルギー源を補給して体を動かす。ようやく体が温まってきたので出発。体は十分に休めたはずだが、荷物が重いの何の。担ぎ上げたときによろめく。こんなんで下山できるのか?お金忘れてきたからゴンドラ乗れないし、つらい2日目となるのは確実。快晴であるのが唯一の救い。

せっかく釣りの用意をしてきたので、重い荷物担いでイワナを釣っては放しながら遡行。ヤケノママの煙が出ている崖の上部はどうなっているのだろうと、下流側の草付きから空身で登ってみたが、上部は丈3mの太いチシマザサ薮が濃く、崖の縁に近づけないまま撤退。こんなことで時間を費やし、二俣まで1時間かからないところを2時間程度要す。

ヤケノママのイワナ  07:15

うっすらとパーマークが残り、朱点が鮮やか。

魚影は濃いが、不思議と大物はいない。食ってくるほとんどがこのサイズ。川のサイズに体を合わせていると思われる。

二俣から中津川本流に沿って西進。県境尾根に抜ける登山道との交差点は非常に判りにくい。初めて遡行してきた人には見分けがつかないのではないか? 20059月に遡行した時に釣り人に登山道の入口を教えてもらえたのは本当に幸運だった。

ここから先がうんざりするくらい長い。滝の高巻きこそ無いにせよ、重い荷物担いで段差の大きい岩がゴロゴロする沢を登っていくのは非常に疲れる。高度計が無いから現在位置が判らない。今回、沢屋さんの真似をして沢を詰める選択をしたのであるが、登山道を辿って県境尾根伝いに歩いた方が絶対に楽だし時間も短縮できる。反面、メリットが無い訳ではない。かんかん照りで大汗をかくところだが、適度にプールに体を沈めて冷却しながら遡行できるので熱中症にはならない。睡眠不足で頭痛がするものの、ヘルメットで水を汲んで頭から行水すれば収まる。アオモリトドマツの林が切れて目指す草原地帯が初めて目に入ったときは安堵。

現在位置が判ったのは良いが、この後がもっと悲惨。湿原の周りはチシマザサ薮にシャクナゲが混じり、薮中を蛇行するクリーク状の溝を辿るのは激薮漕ぎしているようなもの。最初、右手の分岐に入ってみたが薮がひどくて戻り、左の本流筋の溝を辿ったらこちらも激薮。耐えられないのでクリークから笹薮に上がってみると意外に丈は胸高だが、笹薮漕いで直進しようとすると蛇行するクリークに落ちるので気が抜けない。突然目の前に木道と登山者の姿が見えた。一旦薮の陰に戻り、着替えをして登山道に抜ける。この最後の瞬間は高山植物を痛めつけるような行為だから気が退ける。抜け出た場所は中大巓から西吾妻山に向かう登山道の最低部である。

中津川源流地帯   12:26
(梵天岩方面へ登る途中から見た光景)

最後の詰めはつらかった。よくもあんな所を抜けてきたもんだ。遠くから眺めるに限ります。

梵天岩の登りに入る前に大凹の水場で水を補給しておくべし。

梵天岩までの約110mの登りはとにかく時間をかけた。景色が良く、高山植物も美しく、疲れを忘れさせてくれる。

ワタスゲ  12:55

梵天岩手前は湿原と吾妻連峰のパノラマを両方楽しめる場所。遠くに見えるは中大巓。

梵天岩から吾妻神社を経て西吾妻避難小屋を過ぎるまでは高低差も少なく快調。問題は西大巓への登り返しだ。約20年前に一度デコ平から西大巓経由で西吾妻山まで往復したことがあるが、何故に必要以上にアップダウンがあるのか疑問に感じたものだ。その思いが再燃。おそらく水場の関係なのであろうが、水場までの下りは段差が大きく、疲れた身にはきついので途中でギブアップ。ここで水を補給できなかったのはつらい。なお、登山道からはミヤマキンポウゲの群落が離れているが、ここ水場では至近距離にある。花の撮影をしたい方にはお薦めの場所。

水場から西大巓への登りは数歩登って休む超スローペース。チングルマが多い場所であるとは思ったが植物を愛でる余裕無し。日差しが強烈。格好悪いなんて言ってる場合じゃない。汚いタオルを被って日除け。もう登りの体力はほとんど残っていない。重い荷物を担ぎ直すのもやっと。縦走路には全く人の姿が見えない。西吾妻の下りですれ違った若い女性4人組が最後だった。すれ違った大勢のハイカーは皆、天元台からの往復だったらしい。

西吾妻への縦走路   14:20
(西大巓の下り始めで撮影)

登山道は樹木の無い斜面にあり、一貫して南側の眺めが良い。過去に2度歩いたことがあるが夏に歩いたのは初めて。時期を選べば多くの高山植物が楽しめる。

登山道脇は丈の低いチシマザサや湿地性の植物が混じる草原。コバイケイソウやチングルマ、モミジカラマツが多い。写真中央部が最低部で水場が近い。水場のミヤマキンポウゲが美しい。

西大巓山頂までほんのわずかだが、時間と体力がもったいないのでパス。それほどまでに余裕が無かった。昔眺めた記憶が消えているので、空身で行ってみればよかったかな?本日西大巓を下るのは自分が最後のようだからゆっくり景色を独り占めしよう。デコ平スキー場ができてから登山者が増えて道が荒れているのではないかと予想していたが、道の状態は記憶にある姿とほとんど変わりない。20年前と同じ、静かな下りである。

スキー場最上部まで降りてくるとさすがに昔の面影は消え失せている。ゴンドラ営業時間内に降りてきたのに金が無くて乗れないなんて悲しいなぁ。ゴンドラ山頂駅からしばらく林道を下り、途中からはヨツバヒヨドリが満開のゲレンデの草原を真っ直ぐに下る。最後はずり落ちそうな急傾斜でつま先が圧迫されて痛い。下り終えるときれいな沢が流れているので、ここで息を吹き返す。ホテルグランデコからは荷物を途中にデポしてペットボトルだけ持って車を取りに行く。お金を忘れたおかげで想定外の完全周回達成である。

今回の周回は体力的に限界に近かった。無事に吾妻山修験の跡探訪の最大の課題をクリアできて安堵している。今後これ以上の沢歩きをやる予定はない。懸垂降下の用具も使うことはないのかもしれない。安全第一で余裕を持って山歩きを楽しむこととしよう。

今回の中津川遡行を計画するにあたり参考にさせて頂いた主な情報をご紹介します。この場を借りてお礼申し上げます。

とにかく沢登り:吾妻連峰 中津川(2004/8/27-29

吾妻連峰 中津川 平成17年7月16日〜18日 〜吾妻の秀渓に酔う ...

中津川・朱滝訪問紀

MR547中津川から西吾妻山(吾妻)

伝 説 の 橋 脚 跡 !「中 津 川 森 林 鉄 道」