白鳳三山 (1)


H18.12.24(曇時々晴)。例年なら、会津は、もう雪の中である。
しかし、今年は、暖冬の予想、まだ根雪になる程の雪も降っていない。

良い季節には出かける気がしなかった 近場の低山・白鳳三山
(はくほうさんざん、向羽黒山(409m)/羽黒山/観音山)を歩いてみようか。

車道、全1.0h
 12/24、曇
向羽黒山城跡では、駆け登る武者の
姿が見えてきそう。幼児連れでも O.K.
道路地図(マピオン)
1/2.5万 地図:若松
ルート


国道118を南下し、会津若松市街南部の県道128号線との交差点で
右に曲がり、128号線を西に向かう。大川(阿賀川)渡る。

大川に架かる本郷大橋の
上で、左手に白鳳三山が
良く見える。

左端が向羽黒山、中央が
羽黒山、右端の台地部が
観音山だ。

 会津美里町・本郷地区(旧・本郷町)に入ったら、県道219号線との交差点で、
 左に曲がる(本郷駅と反対方向)

 本郷町街を400m程南下すると、頭上に”白鳳山
 公園、向羽黒山城跡 ←”の標識が見える。
 (文字を見やすく画像補正したら、色が変になった。多分、
  標識の色は 青だった。)


 曲がり角には、ほんお4〜5畳程の公園がある。
 (←写真左の道が私の進むべき道だ。)

 解説板の解説(他案内板も含む)を要約すると、
 ”芦名盛氏が、嫡男盛興に城主を譲り、永禄
 四年(西暦1561年)に、隠居用(兼 最後の砦)に
 建てた山城である。永禄11年に完成した。しかし、
 天正三年(1975年) 嫡男が若逝したため、盛氏は
 黒川城(鶴ヶ城)に戻った。”

 つまり、着工から15年、完成からは8年しか住んで
 いない。
曲がってすぐ、数10m先が、古い地図では”会津本郷焼資料館”と記載されている建物が有るが、今は営業していない様な雰囲気だった(改装中?)。標識にも記載が無かったので、営業していないのだろう。隣は公民館の様だ。

会津本郷焼資料館跡?の右お進むと、すぐに左手に白鳳山遊歩道(だったか?名前の記憶怪しい)の入口が有ったが、駐車場が無いので、パス。( 会津本郷焼資料館跡?に駐車しても、文句を言われないかもしれないが・・。)

少し進むと、10数台駐車可能な駐車場が
ある(当HPでは、仮に、駐車場Aと呼ぼう。)

駐車場には、白鳳三山(白鳳山公園)の案内板がある。


(この写真は大きくなります。)


 左が、観音山の様だ。

 登りとは言えない緩やかな登りだ。
 途中にトイレらしき建物が有ったが、
 (冬場なので?)シャッターが下りていた。

 すぐに、観音山・山頂に着く。
 山頂の左の一角に有る解説板を要約すると、
 ”厩嶽馬頭観音堂の堂宇が昭和44年まで
  建っていて、地元の信仰を集めていた。”。

 戦没者(何戦争かは読まなかった)慰霊碑も
 立てられていた。

右(北東)には東屋がある。
その向こうには、会津若松市街が
見えている。

観音山往復は、4〜5分だったろう。
駐車場Aに戻り、右を見ると、ここからも羽黒山への
遊歩道が有る様だ。羽黒神社の参道では無いが・・、
ここから登ってみようか。

少し真っ直ぐ進んだ後、左に曲がり尾根(→写真中央上)
を登る。曲がり角に、小さな広場とベンチが有った。

 小さな山だ。数分で山頂らしきものが見えて
 くる。
 (←)山頂手前に分岐が有る。
 右は、羽黒山神社広場へ続くらしい。
 まずは、真っ直ぐ、山頂に向かう。

 (←)山頂だ。なにやら碑が有る。
 狭い山頂だが、三角点もある(↓)。

ここからも、若松市街(特に南部)が、よく見える。
磐梯山も見えているが、上部は雲の中だ。



そのまま道を進む。
緩やかに下ると、羽黒山神社の後姿が見えてくる。

神社の先に行って、石段を見下ろす。
長い階段そうに見えるが、それ程ではない(20〜30m?)

 後姿だけでは失礼だ。
 (←)神社も、正面から
 写してあげましょう。

 私の戻り道は、向かって
 左に有る。

戻り道を進むと、すぐにY字路になる。右は、少し登りだ。多分頂上近くの分岐の所に出るのだろう。左の道の先の合流点は記憶に無いが・・・、下りの左の道を進んだ。道は、登り始めてすぐの ベンチの有る小広場に続いていた。

駐車場Aに戻り、車に乗り、次のポイントに進む。



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