厚樫山


H19.03.21(晴時々曇)、厚樫山(あつかしやま、阿津賀志山、289m)に出かけた。
厚樫山は、1189年 源頼朝率いる鎌倉軍と平泉藤原軍の古戦場だった山だ。

ー、0.0h
3/21時々曇
鎌倉源氏と平泉藤原氏の古戦場。
車で山頂まで行けてしまうので・・・
道路地図(マピオン)
1/2.5万 地図:桑折
ルート


車で山頂まで行ける山だ。今日は他の山にも行きたいので、ここは車で登る事にした。

厚樫山は中通り最北端・国見町にある。山頂に至る林道(兼登山道?)は、東北自動車道沿い西側から始める。そこへ至るには、国道4号線を北上していた場合、国見町役場の少し先(北)の信号のある交差点を左に入れば良い様だ。

(私は、公立藤田病院の所から 左に入ったので、少し グチャギチャ な走行になってしまった。)
厚樫山は、国道4号線や東北自動車道を北上している時、宮城県境手前で、道の左手に見える三角形の山(下写真中央)である。

 (←)(梁川羽山を下山後)国道4号
 線の少し東付近で撮影。

 後の石母田峠等のある尾根の
 方が高い!
町役場の北の道を西進し、東北道をくぐると直ぐ、
正面右角に厚樫山(阿津賀志山)の道標が
(↓)ある。
 厚樫山へは、東北
 道(→写真右)に沿
 って北に進む。

 最初のカーブまでの
 途中、左手に2本の
 細い登り道があった。
 旧参道か?と思ったが
 車道の途中で交差を
 確認きなかった。
 単なる作業用道路だった
 のだろう。


 2回目の右カーブ内側に、”阿津賀志山画像碑群”
 (八十八太師・三十三観音)の一部がある。
 
 この碑群は、1853年
 行者佛源が、ここに
 太師堂を建立する際、
 近隣の村々から資金
 助成を受けたので、

 その報恩として、草庵
 周囲に樹塔したものらしい。

 道なりに少し少し進むと、左手下に
 空堀の様なものがある。
 ”阿津賀志山防塁始点”だ。

 藤原軍が源軍を迎え撃つため、ここ
 を始点として、東方向の平野を縦断
 する様な防塁を築いたらしい。

西へ大きく巻いた後、左横T字路を左に曲がる。
途中、退避所の様な駐車場(2〜3台)の様な所が2ヶ所あった。
そして、もう 山頂駐車場だ(ここも4台程度?)

右手目の前に、山頂の展望台(写真中央の木に隠れた緑色のもの)が見える。


西南西方向には(時ならぬ3月の
で冠雪した)
半田山が見える。


写真左下隅は、東北道だ。

南西、国見町街と
吾妻〜安達太良
連峰もみえる。


南南東、
たゆとう阿武隈川
の向こうの町街は
伊達市保原か?

 南東、伊達市梁川の向こうに見える
 台形の山は霊山だ。


 北東、宮城県最南端の越河が
 見える。なるほど、確かに国境
 の山だ。

                     総 括

1.コースタイム

 山頂まで車で行ける、歩きは 片道1分未満。

2.頂上の展望は良。福島県北〜宮城県南の山々・平地が見晴らせる。
 源頼朝率いる鎌倉軍と平泉藤原軍が戦いが目に見えてきそうだ。




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